マニラヨットクラブ Manila Yacht Club


マカティ Makati



スペインからアメリカと400年近く続いた植民地支配から、
フィリピンがようやく独立を果たしたのは1946年7月4日、
「フィリピン共和国」初代大統領にはマニエル・ロハスが就任しました。
独立から65年以上、首都はいま「メトロ・マニラ」と呼ばれ、
11の市と6つの町からなる人口約1000万人の大都会です。
近年の著しい経済発展を受けて、なかでもマカティ市の
発展ぶりは目を見張るものがあります。
観光の中心は、やはり歴史的遺跡が多く残る旧市街です。
植民地時代を通じて培われた独特の文化が、
陽気でエネルギッシュなフィリピンの人々と共鳴され、いまも鮮烈に躍動しています。
ニノイ・アキノ国際空港から市内へと続くロハス大通りから
見えるマニラ湾の夕日の美しさは「東洋の真珠」と呼ばれ、
その美しさは永遠に色あせることはないでしょう。

 



 
マカティ市 Makati
 中央はAyala Triangle Park
 
ケソン市 Quezon City
 遠方はマニラ湾
 
アヤラ大通り Ayala Ave
 
ニノイ・アキノ国際空港
 Manila International Airport






   

リサール記念碑 :リサールの遺体が埋葬されている

リサール公園
 フィリピン国内最大(58ha)の公園で、その名はフィリピン独立運動の指導者、ホセ・リサールに由来しています。旧称はルネタ公園で、地元の人々には現在でも旧称で親しまれています。1861年、カランバというところで、富裕な地主階級メルカド家の7番目の子供として生まれました。リサールは、アジアで最も古い大学の一つであるサント・トーマス大学で詩・医学・哲学を終了後、スペインに留学し、そこで自由な思想と新しい理念を学びました。今でも人々に愛読されている処女作「ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)」を著し、スペインによる祖国への弾圧を批判、続く第二作でフィリピン人自身による改革を訴えました。しかし、1892年スペイン政府によりサンチャゴ要塞に投獄、その後ミンダナオ島に流されました。この事件は民衆を刺激し、ついに武力革命が勃発。思想的中心人物であった彼は銃殺刑に処せられました。公園入り口の正面に位置するリサール記念碑は彼の処刑跡で、その地下には遺体が埋葬されており、警備員によって常時警護されています。現在もリサールは英雄として人々に尊敬されています。

リサールの銃殺場面を再現した殉死広場

リサール・シュライン

 サンチャゴ要塞中央の広場には、フィリピンの国民的英雄ホセ・リサールが処刑直前まで幽閉され、遺書を書いたといわれるリサール記念館があります。リサールは1896年12月30日にスペイン当局によって処刑されましたが、同年11月3日から処刑前夜の12月29日までここに監禁されていました。その時書かれた有名な遺書が別れの詩「Mi Uitimo Adios-わが最後のわかれ」です。
 「さようなら なつかしい祖国よ 東の海の真珠 失われたエデンの園よ! いま私は喜んで君に捧げよう この哀えた生命のもっともよいものを いや命そのものを捧げよう さらに栄光と生気と 祝福が待っているのなら 何を惜しむことがあろう・・・」
 館内には、リサールの多彩な経歴を物語るように、数多くの遺品が展示されています。また、室内の壁には和服姿の日本人女性の肖像画が掛けられています。この女性は白井勢似子といい、彼がヨーロッパへの渡航途中に一時滞在した日本で恋に落ちた人だといわれています。ちなみに、東京日比谷公園の片隅には、リサールが来日したことを記念した石碑(1961年建立)が建っています。



イントラムロス
 16世紀にスペイン人が外敵の侵入を防ぐために建造した城砦都市跡がイントラムロスです。外壁が全長4.5km、内面積およそ64haのイントラムロスは「Walled City-壁に囲われた街」という意味で、かつてはフィリピンの政治や軍事だけでなく文化の中心でもありました。城壁内には、総督官邸をはじめ支配階級層の邸宅、病院、大学、教会、修道院などが立ち並び、それらはスペイン文化の影響を受けたロマネスク風建築でした。そのほとんどは後に度重なる戦争で破壊されましたが、戦後から徐々に修復、再現され、スペイン統治時代の面影をいまに色濃く残す地区として、多くの観光客を集めています。



サンチャゴ要塞
 イントラムロス北西に残る要塞跡で、マニラ湾の動静も容易に視認できる位置に築かれています。ここは、スペイン統治以前も外敵を防ぐ重要な砦でしたが、スペイン時代に本格的な要塞として補強されました。スペイン統治時代は軍事拠点でしたが、アメリカ統治時代には軍司令部、第二次大戦中は日本憲兵隊本部が置かれ、地下には捕虜収容所となっていた地下牢の跡も残っています。


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カーサ・マニラ
 イントラムロス内に残る19世紀のアンティラン様式の石の家で、内部にはスペイン統治時代の家具などを配置して、当時を再現しています。敷地内には2つのパティオがあり、当時の特権階級の豪華な暮らしぶりが偲ばれます。現在は、博物館、ホテル、レストランとして一般公開されています。




   

マラカニアン宮殿
 キアポ地区の東隣のサン・ミゲル地区にあり、パシグ河畔に建つ白亜の純スペイン風邸宅です。1986年の2月革命で、マルコス大統領追放劇の舞台となり、一躍世界的に有名になりました。元々はスペイン貴族ルイス・ロチャの邸宅でしたが、19世紀にスペイン政府に売却され、その後スペイン総督、アメリカ総督の官邸として使われました。その後はフィリピン大統領官邸として使用され、マルコス時代には大統領府として機能していました。マルコス政権崩壊後、アキノ大統領時代からは歴史的遺産の博物館として部分的に一般公開されています。



国立博物館
 リサール公園の北側、ゴルゴス通りに位置する旧国会議事堂にあります。古代イスラム民族や山岳民族の生活用品や民芸品、古代の出土品が展示されているほか、世界最大のワシ、フィリピンイーグルをはじめとするフィリピンの動物のはく製や植物の標本など、フィリピンの風土・地質・考古・人類学に関する貴重な標本、資料が多数展示されています。



フィリピン文化センター
 ロハス大通りの中程、マニラ湾を埋め立てて造られた地区に位置するフィリピン芸術の殿堂です。大胆な曲線の下部と直線的な上部を持ったこの建物は、フィリピン人建築家レアンドロ・ロクシンによるデザインです。内部にはアートギャラリーやミュージアムのほか、国際的なオペラ、バレエ、コンサートの会場として使われる劇場があり、さまざまな文化的催しに対応できるようになっています。



ココナッツ宮殿
 1981年ローマ法王来比の際に立てられた迎賓館です。建物の7割がココナツ材でできていることからこの名がつけられました。その他の素材、大理石、貝、サンゴなどもすべてフィリピン産です。



キアポ教会
 パシグ川の北のキアポ地区の中心で、ケソン通りに面しています。1582年建造のこの教会には、17世紀にスペイン人がメキシコから運んだ巨大な黒い十字架とキリスト像があります。また、教会の南には生鮮食品から日用品まで揃うキンタ・マーケットがあり、マニラのエネルギーを象徴するにぎわいとなっています。



マニラ大寺院
 1581年に竹で創建されて以降、破壊と再建を繰り返してきた教会で、現在あるのは1958年に再建されたものです。その再建に関してはバチカンからの援助があったといわれています。彫刻やステンドグラスの美しさも一見の価値のあるものですが、中でも見逃せないのがアジア最大といわれるパイプオルガンです。オランダから運ばれたこのパイプオルガンは4500本のパイプで構成されています。



サン・アグスチン教会
 イントラムロス内にあるフィリピン最古のバロック様式の石造教会。戦争や地震による破壊を免れ現在に当時の姿を残しています。創建は1587年で、基礎工事から完成までに20年を要したといわれています。14ある礼拝堂はそれぞれの天井にイコンが描かれ、当時のシャンデリアやステンドグラスが作り出す柔らかい色の空気で満たされています。













   

高山右近銅像
 ルソン島には、スペイン統治時代以来の歴史を持つ鉄道があります。いまはフィリピン国有鉄道が運営していますが、その代表的な駅はマニラ市パコ駅でしょう。歴史を感じさせる洋風建築で、構内はルソン島南部のビコール地方に向かう人々でいつもにぎわっています。その駅の真ん前に、「プラザ・ディラウ比日友好公園」という小さな公園があり、その中に高山右近の銅像が立っています。右近は安土桃山時代の大名ですが、そのキリスト教信仰の為に秀吉や家康に迫害され、家族ともども長崎、次いでマニラに追放されました。右近の一行が錨を下ろしたのはイントラムロスでしたが、当時右近の名は「敬虔なクリスチャン大名」としてマニラにも知れ渡っており、スペイン総督をはじめ地元要人の大歓迎を受けました。しかし、過酷な船旅のせいか、右近はマニラ到着40日後には熱病に侵され、わずか一月半の暮しの後に、63年の生涯を終えました。こうした由来に基づくこの銅像はマニラ市美化婦人委員会の提案によって、タガログ語で「黄色」を意味する、かつての日本人街「ディラウ」があったパコ駅近くに、1977年に設置されたも
のです。



ビオ・デル・ビラール銅像
 マカティには、国民的英雄の銅像がいくつかあります。マカティ通りとパセオ・デ・ロハス通りの交差点にあるのは、右手に剣、左手に拳銃を持つピオ・デル・ピラール将軍の銅像です。農民出身のピラールは、反スペインのフィリピン革命の戦士となり、カビテ住民の反乱グループを率いました。その後1898年の比米戦争では革命軍の将軍となり、マカティなどで戦いましたが、後に当局によりマニラで逮捕され、その3年後にグアムへ亡命しています。



ムハマド・ディバトゥアン・クダラト銅像
 同じ交差点の斜め向かいに建つのが、ムハマド・ディパトゥアン・クダラトの銅像です。17世紀前半のミンダナオ島のスルタン(イスラム王国の首長)で、植民者スペインと戦って入植を許さず、スペイン総督に和平の調印をさせた勇者として知られています。ミンダナオの歴史上、「もっとも偉大で、最強のスルタン」と碑には記されています。



ガブリエラ・シラン銅像
 アヤラ通りとマカティ通りの角には、馬にまたがり、剣を手にする女性戦士、ガブリエラ・シランの像が建っています。ガブリエラの夫のディエゴ・シランは、1762年にイロコスで圧制のスペインに対して反乱を起こしました。ところがディエゴは志し半ばで暗殺されてしまい、その後ガブリエラが夫の志を引き継いで反乱を継続しました。彼女は最後には捕らえられ処刑されましたが、「反スペイン革命を率いた最初のフィリピン女性」として位置付けられています。現在、「ガブリエラ」という名は、マニラを中心とする女性人権擁護グループの団体名にもなっています。



ニノィ・アキノ銅像
 アヤラ通りとパセオ・デ・ロハス通りの交差点に建つブロンズ像。鳩を背に載せよろめく男性は、1983年8月21日、アメリカから帰国と同時に、衆人環視の中で、空港で暗殺されたベニグノ(通称ニノイ)・アキノ氏です。銅像は、ニノイが背後から撃たれ、タラップから転げ落ちる瞬間をとらえたものです。この事件をきっかけにフィリピン国民のマルコス独裁への不満が膨張し、マルコス大統領とその一族をハワイ亡命へ追いこむ1986年の「2月革命」、そしてニノイの妻コラソン・アキノ氏の第11代大統領就任へとつながっていきます。



ナヨン・フィリピーノ
 マニラ国際空港のすぐ近くにある文化村です。ルソン・ビサヤ・ミンダナオなど、フィリビン各地の風俗・習慣をレプリカを使って複製・再現した展示が並んでいます。短期間でしかマニラに滞在できない人やフィリピンの姿を一通り見たい人に最適なスポットです。